金城楼

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金城樓土地のルーツ

兼六園の片すみに、今も澄んだ水を沸き出させている泉があります。
金城霊沢(きんじょうれいたく)。その昔に芋掘籐五郎が砂金を洗った所とされ、金洗沢(かねあらいさわ)とも呼ばれていたところから、金沢という地名の由来となったと伝えられている湧泉です。


金城樓の屋号が、この金城霊沢にちなんだものなのは言うまでもないのですが、もう一つの思いもまた込められています。それは、創業者の土屋九兵衛にとって、苦労の末に手にした新たな地の新たな店が、まさに堅固な城(金城)であって欲しいと願ってのことでもあったのです。



明治二十三年のこと、幸運にも九兵衛は由緒ある邸を手に入れたのでした。前田利家公の長女に婿入りした前田対馬守の子孫が、明治維新の廃藩置県の折、味噌蔵町下中丁(現・橋場町)に居を移したまさに豪邸であり、現在の金城樓のある地です。

小堀遠州好みの庭にあるのは、樹齢が数百年を越え枝ぶりの珍しさを見せる槙(まき)の樹、太閤秀吉に由来する七つの石のひとつ不二石(ふじいし)、藩主の子孫が住む鎌倉の前田邸にあるものと対を成す獅子印璽燈籠(ししいんじどうろう)などなど、いずれも由緒を感じさせるものばかりです。


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